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「慟哭の谷」へ  苫前町 三毛別訪問記 その2 [オホーツク暮らし]


 小説に惹かれてきた「羆嵐」の舞台は、相当な奥地にありました。

 調べてみるとここは事件の再現地であり、実際に事件が発生した場所はさらに数百メートル奥だということです。それにしても今から100年ほど前に、この地に開拓に入った人たちの苦労はどれほどのものであったか。私には想像もつきません。
 入植した開拓者たちは、入植順に便利で平坦な土地が与えられ、後になるほど不便な土地を割り与えられたといいますが、現在でさえ不便なこの場所では、開墾もままならなかったでしょうし、作物の栽培なども無理だったでしょうね。

 薄暗く、なんとなく気が重くなる場所。そこに事件の再現家屋がありました。
 
73 現場2.JPG

 壁は藁で無きに等しく、床も土間と板張りの床だけで、雪は少々しのげても、寒さをしのぐことはできなかったでしょう。

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 三毛別羆事件では、最初に襲われた2名の通夜に集まった家をヒグマが襲い、5名が犠牲なったのですが、こういった構造の民家では羆の来襲から人を守ることはできないでしょうね。ヒグマが通夜の席を襲った時、逃げ惑う人の中には屋根の梁に取り付いて難を逃れたと書いてあったので、もう少し大きな家かと思いましたが、自分の想像とはずいぶん違っていたことに驚きました。

 再現家屋の近くには、事件の概要を説明する看板がありました。

 74 現場3.JPG

 そして事件の現場であることを示す石碑。

 75 現場4.JPG

 その近くの樹には、ヒグマの爪痕が生々しく残っています。

 76 現場5.JPG

 私はある種の恐怖から、この薄暗い空間に長くとどまることはできませんでした。廃墟探訪などで人気のない山中に何度も入ったことはありますが、これほど怖いと思ったことはありません。なにか気配を感じてしまいます。

 一度訪れてみたいと思った場所ではありましたが、その場所は想像していた以上に山悪にありました。このような場所で開拓をせざるを得なかった人たちの苦難を思いながら、引き返すことにしました。

 帰り道に、往きの時に気になっていた三渓神社に寄ってみることにしました。

 78 三渓神社.JPG

 鳥居の横には、石碑があり、見ると、「熊害慰霊碑」でした。
 
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 建立者は大川春義さんと書かれています。

 調べてみると、この方は事件当時の区長だった大川与三吉さんの息子で、後にハンターとなり、事件の被害者一人当たり10頭のヒグマを仕留めるという誓いを立て、その誓いが達成された年にこの石碑を建立したということです。慰霊碑には被害者が7名と書かれていましたので、70頭仕留めると誓いが成就したことになりますが、地元からの要請もあって、さらに熊撃ちを続けたと記録には書かれています。
 
 80 三渓神社3.JPG

 事件のあった六線沢からは開拓民は次々と去り、無人となったとされています。今の地名ではこの六線沢がどの場所に当たるのかは分かりませんでしたが、100年の時を越えた三渓地区は、そのことさえ知らなければ穏やかで静かな山里になっていました。

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 81 現場.JPG
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