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沼東小学校訪問失敗の記 [廃墟探訪]

久々の更新になります。

今回のネタは、今年の3月のものであるということをお断りした上で、始めたいと思います。今回もまた、廃墟ネタ(笑)ですが。

さて。

北海道美唄市の我路地区にあった沼東(しょうとう)小学校跡に残る円形校舎については、以前も記事にしたことがあります。

82 沼東小学校1.JPG

この校舎内に入ってみたいという望みはあったのですが、校舎は水没状態であり、その水の深さも分からないので、内部見学は諦めていました。

83 沼東小学校2.JPG

 ところが、ネットに掲載されていたとある写真を見てから、何とか突入(笑)しようと考えを変えるようになったのです。

 それによると、この円形(実際には8角形)校舎の中央には螺旋階段があって、屋上部分に採光用の丸い窓(天窓?)が取り付けられているのですが、そこから漏れる明かりが実に美しく思えたのでした。

 これは実際に行ってみたい!…でも、どうやって???

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「慟哭の谷」へ  苫前町 三毛別訪問記 その2 [オホーツク暮らし]


 小説に惹かれてきた「羆嵐」の舞台は、相当な奥地にありました。

 調べてみるとここは事件の再現地であり、実際に事件が発生した場所はさらに数百メートル奥だということです。それにしても今から100年ほど前に、この地に開拓に入った人たちの苦労はどれほどのものであったか。私には想像もつきません。
 入植した開拓者たちは、入植順に便利で平坦な土地が与えられ、後になるほど不便な土地を割り与えられたといいますが、現在でさえ不便なこの場所では、開墾もままならなかったでしょうし、作物の栽培なども無理だったでしょうね。

 薄暗く、なんとなく気が重くなる場所。そこに事件の再現家屋がありました。
 
73 現場2.JPG

 壁は藁で無きに等しく、床も土間と板張りの床だけで、雪は少々しのげても、寒さをしのぐことはできなかったでしょう。

 77 現場6.JPG

 三毛別羆事件では、最初に襲われた2名の通夜に集まった家をヒグマが襲い、5名が犠牲なったのですが、こういった構造の民家では羆の来襲から人を守ることはできないでしょうね。ヒグマが通夜の席を襲った時、逃げ惑う人の中には屋根の梁に取り付いて難を逃れたと書いてあったので、もう少し大きな家かと思いましたが、自分の想像とはずいぶん違っていたことに驚きました。

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「慟哭の谷」へ  苫前町 三毛別訪問記 その1 [オホーツク暮らし]

 北海道は野生動物の宝庫で、少し町を離れれば様々な動物たちの姿を見ることができます。

 フクロウ、オジロワシなどの猛禽類や、キタキツネやエゾリス、ナキウサギなどの小動物たち。しかし、あまり遭遇したくない動物もいて、その代表格はなんといってもヒグマでしょう。

 基本的に雑食性な動物で、野生動物ゆえに人間との関わり合いを避けて生活しているヒグマですが、何かの拍子に人を食料として認識してしまう場合があり、それによって人間が襲われる、いわゆる獣害が発生する場合があります。

 大正年間に発生した開拓農家の住民が被害に遭った「石狩沼田幌新事件」や、昭和40年代に発生した大学のワンダーフォーゲル部に所属する学生が日高山脈を縦走する際に襲われた事件など、過去にいくつもの獣害事件がありましたが、日本史上最大といわれる獣害事件が「三毛別羆事件」です。

 この事件は、作家の吉村昭さんが「羆嵐」という小説を書き、その後ドラマ化もされたようで、三毛別の名前は知らなくても、ご存知の方もあるかもしれません。

 私は、この事件のことは詳しく知らなかったのですが、当時住んでいた町の図書館で偶然この小説を読み、続いて木村盛武さんが書いた事件のドキュメンタリーである 『慟哭の谷』を読んで、事件の凄まじさを知りました。

 51c-HN7AYjL.jpg

 事件は1915年(大正4年)12月に起こり、地区の住民8名が犠牲(うち1名は事故後2ヵ月後に亡くなったため、7名が犠牲者だとするものもあります)となりました。
 人々を襲ったヒグマは、「穴持たず」と呼ばれる冬眠し損ねた個体で、それゆえに凶暴かつ食欲旺盛だったためにこのような事件になったようです。
 実に悲惨な事件でありましたが、その反面、不謹慎ながらその場所を訪れてみたいという気持ちにも駆られました。
 しかし、その場所はその当時住んでいた町からはあまりにも遠かったため、訪れることは叶いませんでした。

 札幌に転勤となり、書店に行くと「慟哭の谷」が文庫化されているのを見つけ、改めて読み直す機会があって、また現地を訪れる思いが高まりました。札幌から苫前まではさほど距離はありません。ちょうど苫前方面に行く別の用事もあったため、今回訪れてみることにしました。

 改めて地図を広げてその場所を探してみると、その場所は日本海沿岸から内陸に入った古丹別という集落からさらに20キロほど山に入ったところのようでした。
 三毛別(さんけべつ)という地名は確認できず、現在の地名は「三渓」となっていました。

 前夜に札幌を発って途中で仮眠し、古丹別に着いたのは午前7時ごろ。ここからその場所を目指します。

 途中には事件発生地への案内看板があり、道が間違っていないことを確認、さらに進むのですが、沿道には「ベアーロード」という可愛いクマのイラスト入りの看板が出ています。


 日本史上最大の獣害事件発生地への道がベアーロードとは洒落にもならない気がするのですが、この事件を観光資源のひとつにしようという町の考えなのかもしれません。

 67 ベアロード3.JPG

 むしろ、こちらの看板のほうが、それっぽい(笑)。

 68 ベアロード4.JPG

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隧道マーケットへの旅 その6 大団円? [廃墟探訪]

 ご覧いただいた、昭和炭鉱 隧道マーケットへの旅、今回が最終回です。

 水没した区間を抜け、先ほど見たマーケット各店舗の中を見ながら入口へと戻ります。

 店舗内に散乱している、お菓子の包装や洗剤ラック。どれも見覚えのないもので、ここに昭和炭鉱が生きた時代の空気がまだ残っているような気がします。

  52 マーケット5.JPG
 53 マーケット6.JPG

 若い方には分からないかもしれませんが、記憶に間違いがなければ、私の子供のころには、野菜を洗剤で洗うCMが流れていました。あれは、何の汚れを落とすためのものだったんだろう…。

 54 マーケット7.JPG

 トンネルの半ばまで戻ったとき、そういえばいつか拝見した隧道マーケットの訪問記に、トンネルの中にはコウモリが沢山いたという記述があったな、ということを思い出しました。

 今までは気にならなかったのですが、注意してみてみると、あちこちに天井から逆さにぶら下がるコウモリの姿がありました。

 56 コウモリ2.JPG

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隧道マーケットへの旅 その5 まさかの怪異現象?? [廃墟探訪]

 ウェーダーを付けて、水に使った隧道マーケットの中を進みます。

 41 マーケット奥2.JPG

 水位は進むにつれて深くなりましたが、結局膝上まで水が溜まっていました。長靴では微妙に足りない(笑)水位で、ウェーダーをもってきて正解でしたね。

 トンネルはしばらく行くと、左カーブで曲がっていました。

 42 マーケット奥3.JPG

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隧道マーケットへの旅 その4  いよいよ突入! [廃墟探訪]

 再びトンネルの前に立ち、いざ突入。 

 28 隧道マーケット入口.JPG

 かつて訪問した方の記録を読むと、川の水量が多くて渡るのに苦労したということが書いてありました。ここが気になるポイントでしたが、数日間雨が降らなかった日を選んで行ったのであっさり渡渉完了。隧道の入口の前に立つことができました。

 29 隧道マーケット入口2.JPG 

 ここからは闇の世界。持参したヘッドライトヘルメットに装着し、中に入ってゆきました。

  入口からしばらくは、高さが2メートルにも満たないような低く狭い通路が続きます。

 30 マーケット入口付近.JPG 

写真を撮ると、霧がかかったように靄がかかっていました。

 31 マーケット入口付近2.JPG

 外気に比べて十ネル内の温度が温かいせいで発生した靄ですが、心霊現象など信じない私ですはありますが、若干気後れ(笑)してしまいます。

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隧道マーケットへの旅 その3 [廃墟探訪]

 踏み跡の少ない道を進んでゆくと、その先に古びた建物群が見えてきました。2階建ての炭鉱住宅のようです。

23 炭鉱住宅8.JPG

 しかし、炭鉱住宅は何棟も見ましたが、今までと違って採炭施設の奥に住宅があったとは驚きです。あるいは手前にも住宅があったのかもしれませんが、今となっては不明です。

 住宅は道の両側にあり、向かって左に1列、右側には2列ありました。

>26 炭鉱住宅10.JPG

 調査衝動にかられ(笑)ましたが、まだこの先に道が続いているので、とりあえず行けるとこまで行ってみようと思い直し、さらに進むことにしました。

 道の近くを流れる川には崩れかけてはいるものの、擁壁があるので、まだ先に何かありそうですね。

 24  構築物.JPG続きはこちらから!
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隧道マーケットへの旅 その2 [廃墟探訪]

昭和炭鉱 隧道ーマーケットへの旅2回目です。

ゲートを越して、林道を進んでゆくのですが、道は思っていたよりも幅が広く、しっかりしています。

04 林道2.JPG

考えてみると、この奥に数千人が住む町があったのですから、道がそれなりに立派なことは当たり前かもしれませんね。

途中には古い石組みの擁壁もありました。古い人工物があることで、この先に炭鉱跡があることに確信が持てます。

30分ほど進むと、川の両端に橋台と思しき構築物が何箇所かありました。昭和炭鉱と留萌市外を結んでいた炭鉱鉄道のものと思われます。

06 橋台1.JPG07 橋台2.JPG

そして、さらに進むと、林道が分岐していました。

09 分岐点.JPG

右折のほうが車の轍もあり、メインロードのように思えますが、目星をつけた場所は川の上流にあるので、少々不安になりながらも、直進することにしました。

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ブログ再々開 隧道マーケットへの旅 その1 [廃墟探訪]

いやあ、ブログを再開したものの、また滞ってしまいました…。

その間、またも私に環境変化が。

3年半住んだ北海道から東京へと転勤したのが3年前の秋。

東京の通勤(痛勤?)生活にも慣れ(実は慣れなかったが(笑))、何とかかんとか過ごしてきて、やっとブログを再開する決心をして、再び記事を掲載し始めたのですが、そんな折も折、またも北海道への転勤が決まったのでした。

今回は、札幌

転勤が決まるとまた引越やら新しい仕事への対応やらで、気づくともう師走となっておりました。そして遅まきながらも、ブログ再開を目論んだのですが、そのハードルが以前よりも高くなってきたのです。

その理由は、私のオフのライフスタイルの変化にあります。

私の鉄道趣味、廃墟探訪という基本線には変わりはないのですが、その記録としていた写真撮影の方に興味が広がり、本格的に、と言うのはおこがましい限りですが、写真撮影そのものへのウエイトが高くなってきたのです。

その結果、撮り溜めた写真を見返してみると、記事に沿うような記録的写真がめっきり減ることとなっており、いざ記事を書こうにも、どうも写真との整合性が取れない感じがありました。それと生来の怠け癖もあって、そのままズルズルとはや1年。

こんなことをしていると、ブログを再開できないままになってしまうのではないかという恐怖(笑)も出てきたので、ふたたび重たい腰を上げ、再々開に踏み切りました。


01 代行宗谷.JPG
註:写真と記事は関係ありません(笑)

北海道に戻ってからの再々開第一弾は、廃墟探訪から始めてみたいと思います。取材は昨年のことでしたが。

今回訪れた廃墟とは、「隧道マーケット」があるという、昭和炭鉱跡です。





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日高本線追想 あるいは 撮り鉄コラボ その3 [鉄道ばなし]

いやあ、ブログを再開したものの、なかなか更新がままなりません。

生来の怠け癖に加えて、北海道在住の時にはなかった、往復約3時間の通勤時間がネックになって、帰宅すると睡眠優先(笑)のような生活パターンになってしまいました。

とはいえ、わずかながらも更新を待っていて下さる方もいるので、書き続けることといたしましょう。

では。


今回の日高本線の撮り鉄コラボは、ひょんなきっかけで始まったため、はっきりとした予定はありませんでした。

お付き合いいただいたKさんが日高本線沿線の撮影は初めてだというので、数回撮影経験のある私がガイド役ということになっていました。

最初の撮影地、日高門別駅近くの俯瞰ポイントでの撮影を終えた私たちは、Kさんの運転で新冠(にいかっぷ)に向かいました。

市街地の少し前、「判官館森林公園」と書かれた看板が目印で、ここから国道を離れ山道を進みます。

やがてキャンプ場のある整備された公園に到着しますが、車はさらに進み、その先にある地元の墓地の駐車場で車を降ります。

この墓地の裏手に散策路があり、ここから10分ほど歩いたところが目的地になります。

地名である「判官館」の謂れについては、2012年に訪れたときにも触れていますが、簡単に説明しておきます。

この判官というのは、源義経(源九郎判官義経)のことです。

義経は兄である源頼朝との確執で追われる身となり、史実では奥州衣川で討たれたことになっていますが、義経はこの難を逃れて生き続けたという伝説が各所であり、北海道内にも義経や弁慶にまつわる「遺蹟」があります。

この判官館もそのうちの一つで、この地にたどり着いた義経が、地元のアイヌの娘と恋におち、しばらく一緒に暮らしたと伝えられています。

そして、この場所を判官館と名付けたのは義経であるということです。

判官館は高さ80メートルほどの急峻な崖で、その端には展望台があり、そこが今回の撮影地です。

判官館上.JPG


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